ご挨拶と最近の”好き”の話

星野源氏の「不思議」という曲がある。今さらこの曲の良さを語る必要のないくらいの名曲だが、私はこの曲の「”好き”を持った日々を ありのままで 文字にできるなら 気が済むのにな」という一節が本当に大好きである。2021年で一番心に残った歌詞だと言っても過言ではない。
 
日々、”好き”に救われている。
好きな人、好きな食べ物、好きなアーティストの楽曲。そういうものが日常を彩ってくれている。毎日毎日働くだけの日々の中で、勤労を乗り越えるためのお楽しみや活力をもらっている。
まさに「”好き”を持ったことで 仮の笑みで 日々を踏みしめて 歩けるようにさ」である。これも「不思議」の一節である。
 
ここ数年で生活がすっかり変わって、より一層救いが必要になったように感じる。きっとそれだけ、日常がしんどいからだ。
いつの間にか、それが救いだと意識する間もないほど自分の日常に馴染んだ”好き”について、私はどうにか言葉を尽くしていきたいと思う。それが必ずしも思ったままじゃないことを知りながら、それでも言葉に落としていく作業が結局のところ”好き”なのである。
 
これから書くことのすべては、絶対に私の”好き”が「ありのままで文字に」できたものなんかじゃない。だけどできるだけ「君を想った日々を すべて 乗せて届くように詰め込んだ」言葉になるように書きたいと思っています。どうぞお付き合いください。
 
 
 
 
 
さて、はてなブログを導入するにあたっての挨拶が思ったよりも長くなってしまったが、そういうわけでひとまず、森本慎太郎くんへの”好き”の話をさせてもらいたい。
これはいわゆる沼落ちブログではないので、ハマった経緯とか過程の話はひとまず置いておいて(それもいずれは書きたいが)、近頃思うことというか、まあなんか本当最近好きすぎて困ってるから吐き出させてね!といったところです。
 
 
なんか本当最近とにかく慎太郎くんのことが好きである。
 
どれくらい好きかというと、一日平均で3時間は多分慎太郎くんのことを考えてる。3時間が多いと感じるか少ないと感じるかは個人差があるとは思うけれど、毎日9時間以上働いてるのに7時間寝ている社会人が3時間も同じ人間のことを考えているのは、一日の時間の配分でいうと結構バランスが悪いんじゃないだろうか。
しかも最悪なのは、その考えている内容が「なんで慎太郎くんってあんなにかわいいんだろ……」「そんなにかわいくてどうすんだよ」「かわいいの過剰摂取で人は死ぬのか?」「このかっこいい顔でかわいいのバグすぎ」「慎太郎くんは本当にかわいい」みたいな本当にどうしようもなさすぎるところである。……できるだけありのまま文字にした結果がこれなのは本当によろしくないのでは?知能の低さがバレる。
でも本当に、最近何を見ても何を読んでも慎太郎くんがかわいくてかわいくてたまらなくて、「健やかに育ってくれ」みたいな気持ちになる。今年25歳になる成人男性に抱く感情として正しいかは甚だ疑問である、だってもうすでに育ち切ってるし。これから加齢によってもっと大人っぽくとか渋くとかはなっていくかもしれないけど(たまに”THE成人男性”顔をしているの見ると「そんなに大人になるな……」の気持ちになるけど、これもまあまあ最悪の部類の感想だなとは思っている)、いわゆる体が成長する的な「育つ」という意味ではもう別に育つ必要はないというか、十分健やかに育った結果というか。まあそれでも、「健やかに育ってくれ」と思ってしまう事実は変えられないのですが……。
 
もちろん大前提として慎太郎くんはかっこいい。かっこよさでメロメロになることもあるし、単純に「顔かっけ~……」と感心(?)することも最近増えた。今日のYoutubeとかも、金髪に野球のユニフォーム着てるのあまりに良すぎて本当無理だった。あ、いや、そう、慎太郎くんの金髪がそもそもめちゃくちゃ好きなんですよ。金髪の慎太郎くん、まじで本当にスーパーかっこいいと思っています。まあそれはいいんですけど、慎太郎くんのこと「かっこいい!好き!メロメロです!」になってしまった時は、少し悔しいというか「負けた」と思ってしまう。端から勝つ気なんかないくせに、生意気にも敗北感を覚えている。何で戦ってるかもよくわからないというか、そもそも全然同じ土俵には立ててないのに、メロメロにされるたびに「今日も負けた……」と思う。
 
”好き”なアイドルはたくさんいて、その全員のことを大好きだけど、ここまで敗北感のあるアイドルは慎太郎くんが初めてかもしれない。この敗北感についてはもう少し自分の中で嚙み砕いていずれ言葉にしたいと思っている。
 
ともかく本当に最近好きすぎて困っているので、だれか助けてください。もしくは一緒に困ってください。という話でした。